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どうだったっけあの頃!「善福寺&西荻窪 その2」2011年1月(DSS:ルート50)

[2011.01.20]

どうだったけあの頃善福寺&西荻窪2

前回は、善福寺に住むきっかけと社会人になって就いたアルバイトについて触れた。

西荻窪は、生活のしやすい街だった。今でもその当時に行っていた居酒屋に2-3ヵ月に一度は通っている。そういえばハムの美味しいお店あった。名前は忘れてしまったが、

個性のあるお店が多かった。ジャズを聴かせてくれたお店(アケタ?のお店)も病院の人に連れていってもらった。高校生時代のロックバンド、サンハウスのロックコンサート以来、ライブなんて行ったことのなかった私にはとても衝撃だった。音楽はもちろんのこと、30人も入ればいっぱいのホールで中年前後の大人たちが体で感じながら音楽を聴く雰囲気は、20代前半の私には何か急に大人の世界に入ってきたようで独特の雰囲気を感じた。わけがわからないが心響いた! 

JAZZという言葉自体が大人の音楽と言う感じを思っていたが、音の一つ一つが確実に体の中を突き抜けた!これが東京なんだと、これが大人の入口なんだと叫ばずにはいられなかった。

その後病院の友人から、井上陽水のコンサートやロックバンドのコンサート、六本木のライブハウスなどをいろんな大人の世界を教えてもらった。自分で稼いだお金で食べる、遊べるという感覚は、嬉しくもあり、楽しくもあり、上手にお金を残すことの難しさを知った。

西荻窪という駅は、住宅地の中にある駅で、特に西荻窪に大きな会社や産業があるわけではない。要は、生活の場である。吉祥寺は華やかであるが西荻はそこまで行かなくてもっと庶民的な街である。少ないサラリー(月給10万5千円)の中で飲みに行けるお店は限られていた。

駅を降りて右に出ると線路沿いに小さなお店が20-30軒ある。その中に「戎」という居酒屋があった。カウンターがコの字型になっているお店である。今でも健在で、その店舗数は増えている。

特に煮込みは、絶品だった。「もつ」の味は東京で初めて覚えたがココのもつは当時にしても大きく柔らかくジューシーだった。当時の価格は覚えていないが200円前後ではなかったかと思う。ちなみに現在は250円!しかし、もつの量は減ってもつだけの煮込みはなくなった。もつ好きの私にはとても残念でたまに食べてみるがはっきりいって味が落ちた。その分メニューが増えたせいかもしれない。

やきとりでは、鶏皮ピーマンとレンコンの肉詰めがやたらに美味しく、レバ刺しや常に置いてある南蛮漬けも酢の物好きな私には最高である。1,500円で十分に楽しめるお店だ。良く焼き鳥やお惣菜を買ってアパートで一人で楽しく食べたが、今でも行くと探してみるがいつのまにかなくなっていて今ではどうだその当時のことは思い出せない。

今でも西荻に通っているのでどんどん上書きされて行ったのか、通うお店がいつも決まっているので散策しなくなって頭の中は定番のお店だけになってしまったようである。今度行くときには周辺の散策してまたこのページに報告したい。

そういえば駅から善福寺に行く途中に「みずほ」という割烹料理屋があった。刺身好きの私には、魚が美味しかったこのお店には、1-2か月に1回程度しか行けなかったが、今になっても忘れられない。先日、通った時にはすでになくなっていて料理屋さんが二代目三代目と続く時代ではなくなったなあとどこに行ってもつくづく思う。親方が引退すると全てが終わるのかもしれない。人生を考えさせられる。

好きな街には何かにつけて出かけようとする。西荻はたぶんずっと通うだろう。居酒屋「戎」の当時の店長や店員さんの顔を今でもしっかり思い出せる。通い始めて30年相性に合うお店はなかなか残っていない。

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