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どうだったっけあの頃「笹塚・初めて住んだ街」その1 2009年10月(DSS:ルート50)

[2009.10.09]

【どうだったっけあの頃:「笹塚」その1】

東京に最初に上京してきたのが今から34年前になる。代々木の学生何とかセンターか協会わからないが、誰から教えてもらったか、自分で何を調べて行ったか覚えていないが、学生専門の不動産屋さんにいって下宿する場所を探した。

当時、月の仕送りの金額は確か5-6万くらいだったと思う。住むだけの下宿では2万から3万ほどが相場だったように覚えている。学校が幡が谷にあるので歩いて通える場所または一駅か二駅離れているところを探していた。どういう展開かは全く今では覚えていないが、笹塚駅から徒歩10分程度のところの中野区南台の下宿を紹介された。賄いなしで2.8万円賄い付きで3.5万円出会ったような気がする。

お風呂も入れたと思う。部屋は2階で全部で5室で、空いている部屋が1室、メガネをかけたお母さんが案内をしてくれた。どのようにして決めたか全く覚えていない。当時学校のある幡ヶ谷駅は、地下駅ではなく地上で、笹塚も高架の駅でなく地上駅だった。車両の各駅停車は緑色のだったような覚えがある。電車に乗ると、木のにおいが強く床にはどう表現してよいかわからないワックスが塗ってあったような記憶がある。

笹塚駅から下宿までは、生活用品のすべてそろう商店街を通ったのだが、覚えているのは魚屋さんと本町通りの角にある富士見女子高校?、名前は忘れてしまったが、たまに飲みに行った松田優作の最初の奥さんの結婚式に出た写真の貼ってある、堅気の親爺さんの居酒屋 と土日に主に利用した定食屋程度である。笹塚商店街は(名称は定かではない)賑わっていたように思う。

長崎県佐世保市生まれの私は青魚と言えば鰺、鯖中心でアラカブの味噌汁など大の魚好きだった。学校の関係もあり途中から賄いなしに変わると、帰りも遅くなるのでお風呂も銭湯に行くようになったので、たまの土日には魚屋に行って刺身を買ってきて食べていた。

その時生まれて初めて食べたのが鰹である。秋刀魚も東京に来てから初めて食べるのだが食べ始めた時期は覚えていない。きっとさんまを当時、刺身では食べれかったことが関係していると思う。すぐに、安くて量が多い鰹ファンになった。当時半身で300円前後だったと思う。今のカツオの値段と比較すると半身の半身(1/4)でも300円から400円と倍以上、高くなったものである。以前ほどおいしいカツオにはお目にかかることがめっきり少なくなった。魚屋さんが減った関係あると思う。

定食屋ではナスの生姜焼き定食が美味しかったことを忘れない。甘辛い生姜醤油で焼いた茄子はなんとも言えない味で、焼き立てをふーふーしながら食べた。ご飯の上に載せながら、飯と一緒に口の中に頬張ると、微妙な味が口の中に広がり、今でも思い出すとの中に唾液が充満してしまう。しかし、茄子の小ささには驚いた。九州にいる時はほとんどが長茄子で、こんな小さい茄子があるんだと思ったのも事実である。頭の禿げ気味でちょび髭をはやした親爺さんとしゃきしゃきしたおかみさんの二人だけでやっている定食屋には土日ごとに、世話になったが、言葉を交わすのは注文するときのみで一度は、世間話でもしたかったが、その勇気はなかった。男のお客さんがほとんどでたまに女性のお客さんがくる(必ずアベックが)とまじまじと見つめていたような記憶がある。

18歳で上京し一人暮らしの青春のはじであった。

 

 

 

 

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