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どうだったっけあの頃「東北沢」2011年4月(DSS:ルート50)

[2011.04.21]

どうだったっけあの頃:東北沢

社会人になって最初の就職先である病院を退職、次の仕事先でまず病院の寮に入ることとなった。  検査機関からの派遣となるが住んでいる善福寺からあまりに遠いので引越してしまえということになった。その病院の裏山には杉の木だらけで花粉症発症となった。

病院の寮ではレントゲン技師とよく飲んだ。お互いにお金を出し合って回転寿司やつまみを買ってきて1リットル缶を3-4本二人で飲んだ。毎日飲んだ。たまには看護師さんも入れて飲んだが仕事もするし飲みもするしかし、遊ぶ場所はなく寮でのただ寮との行き来のみであった。半年もすると町に出れないことに何か疲れてきた。車の免許も持ってなかったない私は、誰かに便乗させてもらう以外には出かける方法は、バスのみでそのバスも一時間に数本しかなく必然的に動かなくなった。

さすがにこれではだめだと教習所に通い始めた。電話帳で調べて安いところを探していった。公安委員会認定と指定で異なるということ知らずお金を払ってから一発試験を試験場で受けなければならないとわかりびっくり!

また一発試験が非常に厳しく、一日の合格者が10名以下であり合格率はよくて2割、悪ければ1割、受験回数5回以下で受かる人は珍しく、平均の合格回数は10回前後であった。5回目に合格した。それからというもの車を購入!活動範囲が一気に広くなるとともに仕事場も複数任されることになった。

一箇所は茨城県の美浦村(中央競馬の美浦トレーニングセンター)、大宮の指扇(埼玉栄高校の近く)、川口の武南一周すると300キロ運転することになったが田舎の雰囲気は大好きであった。

美浦村では、田舎の道路なのにベンツやポルシェなどスーパーカーがバンバン走って何とも風変わりな風景であり、外国人スナックも多く裕福な村であった。

そんなこんなで移動したり他の職員の代わりをしたりでさすがに都会が恋しくなり、寮から引越すことを考え始めた。どこで探したかわからないが検査機関の本社にも30分以内でいける東北沢にアパートを探した。下北沢はちと高かったので東北沢にした。

下北沢まで歩いて7-8分なので夕食はいつも下北沢である。現在のような本多劇場ではなく、小さなお店やライブハウス居酒屋、商店など生活するにはとても便利なところであった。

アパートは大家さんちの2階で部屋は3つあった。ある夜1階でドタンバタンとモノが壊れるような音や若い男の叫び声が聞こえた。これはきっと家庭内暴力だなと思うこともあったがその後納まったのでなんだったんだろうと今でも思っている。

下北沢では踏み切り近くのカウンター居酒屋「大根や」によく通った。豚と大根を煮た料理がメインでバーボンとそれをつまみによく飲んだ。一日1本空けたこともあった。マスターの友人が東急エージェンシーにいてたまにマスターはバイトといってテレビのCM出ていた。マスターには六本木にも連れて行ってもらってエド山口のライブをやっているお店でツイスト踊って楽しんだ!

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